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リトリート講演「十戒と信仰」瀧浦滋牧師

岡本契約教会リトリート 

2015年4月29日(水・祝)しあわせの村「あおぞら」

「十戒と信仰2」  賛美:詩篇19B


1.律法(十戒)のクリスチャンにとっての意味を正しく理解しよう

(ウエストミンスター信仰告白19章6-7、16 章)

詩篇19:7−14 

何と!律法は喜びである。贖い主故に! 反律法の間違った考えの蔓延。

律法が喜びである理由を律法の三用法から瞑想すると:

悔改めの真実・罪からの脱出・信仰の新しい人生、ゆえに喜びなのだ。

出エジ20:1− 17

十戒:神の恵みの契約の、キリストの満たしてくださる条件

私たちは贖い出されたものとして十戒を与えられている。

十戒の序文は「贖われた事」が前提である事を暗示している。

神様は私達が罪人である事を知って、贖い主を備えた上で、 

この十戒を示し、愛を持ってかき口説くように促されている。

従って十戒を行って救われるのでない。贖いの十字架による。

そして、十戒は、甦られた贖い主キリストからの聖霊により 

私達の内に成就し実現されていく。私自身が贖いの場となる。

ローマ6:4    

主と共に十字架で死に復活で新しく生く。ガラテヤ2:20

律法を行うことは、古い自分に死んだことから始まる

そして復活の主とその聖霊によて生きることである。

日々悔改め(自分への死)と信仰(主に生きること)で 

聖霊の三手段:み言葉・恵みの礼典・祈りに日々導かれて。

ヤコブ1:20−22

肉は怒りで働く。聖霊はみ言葉を通して人を癒し動かされる。


2.十戒を生きる人生の奨め

改めて詩篇19:7−16    賛美:詩篇119DEF

十戒は、神の喜ばれる、私にとって幸いな祝福である 

    神の命じられるなすべきことである

    新しい生きる目当てである   

だから、この世で十戒を生きてみよう。

この世と違う生き方の覚悟をしなければならないが。ローマ12:1−2

単純に、それがクリスチャンの生き方、守る矜持、この世での証しである。


3.世の中で世と区別された人生を生きる実際:

  世俗内禁欲  ヨハネ17:14−19

私たちは、この世とどのように違う、証しの人生を送るのか?

世で王キリストに仕える。具体的には、世で十戒を守る事である。

改革長老の実践:

キリスト王権に世で仕え、十戒を目指し、詩篇賛美で霊性を養う。

日々、主の御霊の恵みで、十戒の実践により、恵みの道を歩んで行く。

賛美・詩篇84A、大教理参照

第一戒 

神を礼拝して生きる(個人・家庭・教会)礼拝祈り賛美を神のみに捧げる。

第二戒 

見える偶像を拝まない。見える手段を使わない。霊とみ言の真実で礼拝。

第三戒 

神を恐れみ名が現れているものの全てに敬虔を顕わす。特に誓約の真実を。

第四戒 

安息日を遵守し、やむをえない事情以外は仕事を休み、神礼拝して過ごす。

第五戒 

あらゆる人に神から委ねられている権威と名誉を認め、尊重し服従する。

第六戒 

神のかたちの人格と生命を、寝たきり老人・胎内命・自分自身でも、尊ぶ。

第七戒 

神の賜る人の契約関係の型として、神の前の結婚の誓約と家庭とを尊ぶ。

第八戒 

ものを軽視しない。神が各々に与えられたものや富の所有権を、尊重する。

第九戒 

真実の証を大切にし、各人間関係の真実を尊び、守り、偽りで傷つけない。

第十戒 

自分の賜物と召命を感謝し生かし、他の人も認め、妬みうらやみ嫉妬廃す。

◎このようにキリスト者はこの世で区別された存在として生きる。

このように、十戒に従って、王キリストに仕えて生きる。

律法主義の危険をいつも覚え、キリストの赦しに立つ。

 そのために、裁き合わず、謙遜に、ただ前進を考える。

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